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江口洋介が浪江町を歩く! [ガイアの夜明]

江口洋介が浪江町を歩く!!

『ガイアの夜明け』の案内人、江口洋介が浪江町を歩く!
「復興への道」シリーズで、浪江町が取材された。

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『ガイアの夜明け』の案内人、江口洋介が浪江町を歩く!

「復興への道」シリーズで、浪江町が取材された。

ガイアの夜明け 江口洋介が浪江町を歩く.jpg

ガイアの夜明け 江口洋介が浪江町を歩く

浪江町というと、福島第一原発から6.5キロの位置。
原発の被害で、長い間立ち入る禁止とされた地域。

私は、原発事故の約2年後、何回となく行ったことがあるが、
景色はよくていい町だったろうとおもわれる町だった。
浪江町出身といった方とも話したことがあるが、
いい街だった。B級グルメで、『なみえ焼そば』
が有名となってこれからだという時に、あの震災があった。
と昔のせつない思いを話してくれた。

昨年4月から「避難指示解除準備区域」となり、
特別な許可が無くても日中は出入りができるようになった。

浪江町は、3.11の原発事故当時から、
福島第一原発から6.5キロの地点にもかかわらず
放射線量は、意外に少なかった。今でも放射線量は、
場所によっもあるが、少ないという。

3.11東日本大震災の浪江町・双葉町の状況.jpg


取材した江口洋介は、
防護服を着る必要もないし、コンビニエンスストアも開業している。
「放射線量も東京とあまり変わらない場所が多かったですし、
テレビで見ているよりもほのぼのとしている印象を受けました」。
といったが、震災の傷跡が残る姿を目のあたりにした。

浪江町には陸に打ち上げられ船が60隻以上、車は400台以上が、
震災当時のまま残っているという。
それらの撤去作業や、がれきの分別作業がようやく始まった
浪江町の現状を江口洋介が伝える。


『なみえ焼そば』

通常の約3倍のもある太い麺とを使い、うまみたっぷり濃厚ソース、
具材は豚肉とモヤシだけのシンプルが特徴です。
1950年頃 から、このなみえ焼きそばが考案されたといいます。

被災地での同窓会に参加させて頂いたことがあり、
そこで、鉄板でこの焼きそばを振る舞っていました。
濃厚の味と太麺が絡みおいしい焼きそばで、印象に残っています。


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