日本のカレーの歴史にハウス食品のバーモンドカレー [カンブリア宮殿]
日本のカレーの歴史は、ハウス食品の歴史。ハウス食品がカンブリア宮殿に登場
カレーは、インドからイギリスを経て渡ってきた料理です。
日本でのカレーの始まりは、明治時代以降です。
食文化の中では、比較的歴史の浅い食品ですが、日本人の食卓・食生活には
欠かせない、家庭料理であり、日本料理として定着しています。
ハウス食品の歴史をみると、日本のカレーの歴史が重なります。
ハウス食品のはハウスカレーの名は、
浦上商店(現ハウス食品)は、大阪で生まれた、薬やスパイスを売る小さなお店でした。
1926年(大正15/昭和元年)、薬種問屋・浦上商店の創業者の浦上靖介(せいすけ)は、
「ホームカレー」の商標を持つ稲田商店から、カレー粉の会社を引き受けてくれという
依頼を受けました。
当時まだカレーは普及していなかったし、大きな資金も必要で迷ったといいます。
その時に、「やりなはれ」「夫婦が力を合わせたら実らんわけはあらしまへん」
という靖代夫人の一言で創業者は、引き受け、そして、
粉末タイプの即席カレールー「即席ホームカレー」を発売します。
しかし、商標権のトラブルでこの名前が使えなくなってしまったのです。
この時に、妻の靖代夫人は、
「日本にはホームの概念はあらしまへん。カレーを売るならハウスだす」
ホームカレーからハウスカレーへバトンタッチされることになります。
1928年(昭和3年)に「ハウスカレー」と改名。
日本を代表する食品会社の名前は、奥様の一言で決まったのでした。
夫婦間の信頼によって生まれ、しあわせな笑顔の食卓の代名詞ともなったカレー
日本を代表する総合食品メーカーハウス食品。
夫婦間の信頼が、ハウス食品の礎となり、
「家庭・家族を幸福に」という理念を作り上げました。
ハウス食品の歴史は、信頼が幸福を生む、ということの証。
ハウス食品の100年を支えたのは、「家庭の幸福に寄与する」という歴史。
昭和初期の多くの日本人にとって、カレーは見た事もない料理。
そこで、ハウスが行った食品業界初の試みが、店頭での実演試食販売
そして、宣伝カーを使った街頭宣伝でした。
「バーモントカレー」などのロングセラーが、生まれることになります。
“カレーといえばハウス”を決定付けた商品が「ハウスバーモントカレー」
そして、「クリームシチュー」
リンゴとハチミツの入ったマイルドな味が大うけしたのです!
バーモントカレーの大ヒットで、ハウス食品は一躍カレーのトップメーカーに!
さらに、日本の食卓の定番にしたもう一つの料理が、クリームシチュー。
実は、1966年にこのシチューミクスは発売されるまで、
クリームシチューという料理は世の中に存在していませんでした。
“日本式カレー”を世界に!ゼロからの市場開拓に挑む
カレー文化のなかった日本にカレーを普及できたたハウス食品は、
いま中国で、再びゼロからの市場開拓に乗り出している。
2005年に上海に本格進出し、地道な普及活動を行っている。
カレー文化のない中国で、カレーを中国の人民食にすることが最終目標という。
ハウス食品がカンブリア宮殿に登場しました。
日本のカレーの歴史に、ハウス食品のバーモンドカレーの歴史があります。
ご質問やご感想のメールは、お気軽に下さい。
tatenomore@gmail.com 迄
返信させて頂きます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
タテノアトリエ 立野重之
カレーは、インドからイギリスを経て渡ってきた料理です。
日本でのカレーの始まりは、明治時代以降です。
食文化の中では、比較的歴史の浅い食品ですが、日本人の食卓・食生活には
欠かせない、家庭料理であり、日本料理として定着しています。
ハウス食品の歴史をみると、日本のカレーの歴史が重なります。
ハウス食品のはハウスカレーの名は、
浦上商店(現ハウス食品)は、大阪で生まれた、薬やスパイスを売る小さなお店でした。
1926年(大正15/昭和元年)、薬種問屋・浦上商店の創業者の浦上靖介(せいすけ)は、
「ホームカレー」の商標を持つ稲田商店から、カレー粉の会社を引き受けてくれという
依頼を受けました。
当時まだカレーは普及していなかったし、大きな資金も必要で迷ったといいます。
その時に、「やりなはれ」「夫婦が力を合わせたら実らんわけはあらしまへん」
という靖代夫人の一言で創業者は、引き受け、そして、
粉末タイプの即席カレールー「即席ホームカレー」を発売します。
しかし、商標権のトラブルでこの名前が使えなくなってしまったのです。
この時に、妻の靖代夫人は、
「日本にはホームの概念はあらしまへん。カレーを売るならハウスだす」
ホームカレーからハウスカレーへバトンタッチされることになります。
1928年(昭和3年)に「ハウスカレー」と改名。
日本を代表する食品会社の名前は、奥様の一言で決まったのでした。
夫婦間の信頼によって生まれ、しあわせな笑顔の食卓の代名詞ともなったカレー
日本を代表する総合食品メーカーハウス食品。
夫婦間の信頼が、ハウス食品の礎となり、
「家庭・家族を幸福に」という理念を作り上げました。
ハウス食品の歴史は、信頼が幸福を生む、ということの証。
ハウス食品の100年を支えたのは、「家庭の幸福に寄与する」という歴史。
昭和初期の多くの日本人にとって、カレーは見た事もない料理。
そこで、ハウスが行った食品業界初の試みが、店頭での実演試食販売
そして、宣伝カーを使った街頭宣伝でした。
「バーモントカレー」などのロングセラーが、生まれることになります。
“カレーといえばハウス”を決定付けた商品が「ハウスバーモントカレー」
そして、「クリームシチュー」
リンゴとハチミツの入ったマイルドな味が大うけしたのです!
バーモントカレーの大ヒットで、ハウス食品は一躍カレーのトップメーカーに!
さらに、日本の食卓の定番にしたもう一つの料理が、クリームシチュー。
実は、1966年にこのシチューミクスは発売されるまで、
クリームシチューという料理は世の中に存在していませんでした。
“日本式カレー”を世界に!ゼロからの市場開拓に挑む
カレー文化のなかった日本にカレーを普及できたたハウス食品は、
いま中国で、再びゼロからの市場開拓に乗り出している。
2005年に上海に本格進出し、地道な普及活動を行っている。
カレー文化のない中国で、カレーを中国の人民食にすることが最終目標という。
ハウス食品がカンブリア宮殿に登場しました。
日本のカレーの歴史に、ハウス食品のバーモンドカレーの歴史があります。
ご質問やご感想のメールは、お気軽に下さい。
tatenomore@gmail.com 迄
返信させて頂きます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
タテノアトリエ 立野重之