奇跡の酒「獺祭」は、 カワウソの祭りと書いて「だっさい」と読む [カンブリア宮殿]
カンブリア宮殿2014、奇跡の酒は「獺祭」、旭酒蔵、桜井社長の登場
カンブリア宮殿2014年1月16日は、奇跡の酒が登場。
旭酒蔵 社長 桜井博志(さくらい・ひろし)は、日本酒のイメージを変える
「獺祭」を生み出した。
.
カンブリア宮殿2014年1月16日は、奇跡の酒、旭酒蔵「獺祭」
「獺祭」 カワウソの祭り、と書く。「だっさい」と読む。
日本酒のメーカーは、各地にあるが、業績でいい話を聞いたことがなかった。
この40年間で、市場規模が3分の1にまで縮小している日本酒。
カンブリア宮殿の1月16日に、奇跡の酒「獺祭」が取り上げられ驚いた。
飛ぶように売れる!という。日本酒業界の革命ともいわれる。
大手酒販店の棚においても、すぐになくなってしまう・・・
補充しても補充してもすぐ棚から無くなる酒が…。
それが「獺祭」 カワウソの祭り、と書いて「だっさい」と読む。
獺祭は「奇跡の酒」
山口県岩国市の山里にある過疎の地域に旭酒造はある。
桜井社長が、蔵を継いだ30年前は、業績が悪化していて
全く見通しの無い状態からのスタートだった。
父親の急死によって、1984年、34才で受け継いだという。
一時は、子供の教育資金まで解約せざるを得ない所までの
ギリギリの経営状態もあったという。
失敗しても、やってみるしかなかったといえ、桜井は研究熱心だった。
日本酒業界の常識を破り、独自の酒造りを次々と実践してきた
ワイン酵母で、酒を造って、面白さでマスコミにも取り上げられた時、
ある女性に、「これならワインの方がいいです」と言われたのが、
獺祭が生まれるスタートになったという。
商品の本質を曲げないで勝負する!
造る酒を純米大吟醸酒という技術的に難しい最高峰のものに特化。
しかも酒造りは、伝統の杜氏(とうじ)ではなく、旭酒造の社員たちが行う。
杜氏(とうじ)は、日本酒の醸造工程を行う職人集団であり、蔵人の監督者
かつ酒蔵の最高製造責任者をいう。
冬場だけでなく、1年通して、製造できるようにしたのも、桜井の研究から
可能になった。
社員が醸造工程をすることで純米大吟醸の量産化を可能にしたのだ。
4合瓶で約1250円という、破格の値段で売り出すことができた。
「獺祭」を襲った倒産の危機
2012年、旭酒造は純米大吟醸酒のトップメーカーになった。
売り上げもこの1年で56%アップの39億円。手に入れるのに
ひと苦労するほどの人気の日本酒になった。
この絶対的な、人気をとれるまでの過程に、旭酒造には
倒産の危機もあったという。
獺祭が少しずつ売れ始めた後、年間を通じて、蔵を夏にも稼働させたいと、
地ビール事業を始めた。だが、わずか3ヵ月で撤退に追い込まれ、
1億9000万円の損失を出してしまったのだ。
経営者として、桜井社長は、つぶれるかもしれないと思った・・・
と、当時を振り返る。
この倒産の危機を救ったのは、本物志向だった!
客から見て、最高の酒を追求している酒蔵だから
存在価値がある。どこにでもある酒蔵なら、価値はない!
桜井は日本一の酒を造ろうと、手間も時間もかかる究極の磨きに挑み、
「磨き2割3分」を生み出した。
「磨き」とは、精米して雑味となるタンパク質などを取り除く作業のこと。
磨けば磨くほど、時間もかかり、生産コストも上がることになるが、
そこから、圧倒的にすごい酒、獺祭が生まれることになった。
獺祭が、パリに直営店
獺祭が世界へ…パリに直営店
和食がもてはやされる中で、きちんと管理された本当においしい
日本酒を知ってもらいたいと、パリに直営店を出すことを決めた。
世界22ヵ国で売られている獺祭というが、日本酒の酒蔵が海外に
直営店をつくる発想は、旭酒造の桜井社長しか思いつかないだろう。
「獺祭のおいしさは、必ず世界に通じるはず」と、ワインの大国での挑戦。
さらに、本物は、ユダヤ教の聖職者にも認められている商品として、
確立されている。
旭酒造の桜井社長の販売戦略は、自信に満ち溢れている。
ご質問やご感想のメールは、お気軽に下さい。
tatenomore@gmail.com 迄
返信させて頂きます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
タテノアトリエ 立野重之
カンブリア宮殿2014年1月16日は、奇跡の酒が登場。
旭酒蔵 社長 桜井博志(さくらい・ひろし)は、日本酒のイメージを変える
「獺祭」を生み出した。
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カンブリア宮殿2014年1月16日は、奇跡の酒、旭酒蔵「獺祭」
「獺祭」 カワウソの祭り、と書く。「だっさい」と読む。
日本酒のメーカーは、各地にあるが、業績でいい話を聞いたことがなかった。
この40年間で、市場規模が3分の1にまで縮小している日本酒。
カンブリア宮殿の1月16日に、奇跡の酒「獺祭」が取り上げられ驚いた。
飛ぶように売れる!という。日本酒業界の革命ともいわれる。
大手酒販店の棚においても、すぐになくなってしまう・・・
補充しても補充してもすぐ棚から無くなる酒が…。
それが「獺祭」 カワウソの祭り、と書いて「だっさい」と読む。
獺祭は「奇跡の酒」
山口県岩国市の山里にある過疎の地域に旭酒造はある。
桜井社長が、蔵を継いだ30年前は、業績が悪化していて
全く見通しの無い状態からのスタートだった。
父親の急死によって、1984年、34才で受け継いだという。
一時は、子供の教育資金まで解約せざるを得ない所までの
ギリギリの経営状態もあったという。
失敗しても、やってみるしかなかったといえ、桜井は研究熱心だった。
日本酒業界の常識を破り、独自の酒造りを次々と実践してきた
ワイン酵母で、酒を造って、面白さでマスコミにも取り上げられた時、
ある女性に、「これならワインの方がいいです」と言われたのが、
獺祭が生まれるスタートになったという。
商品の本質を曲げないで勝負する!
造る酒を純米大吟醸酒という技術的に難しい最高峰のものに特化。
しかも酒造りは、伝統の杜氏(とうじ)ではなく、旭酒造の社員たちが行う。
杜氏(とうじ)は、日本酒の醸造工程を行う職人集団であり、蔵人の監督者
かつ酒蔵の最高製造責任者をいう。
冬場だけでなく、1年通して、製造できるようにしたのも、桜井の研究から
可能になった。
社員が醸造工程をすることで純米大吟醸の量産化を可能にしたのだ。
4合瓶で約1250円という、破格の値段で売り出すことができた。
「獺祭」を襲った倒産の危機
2012年、旭酒造は純米大吟醸酒のトップメーカーになった。
売り上げもこの1年で56%アップの39億円。手に入れるのに
ひと苦労するほどの人気の日本酒になった。
この絶対的な、人気をとれるまでの過程に、旭酒造には
倒産の危機もあったという。
獺祭が少しずつ売れ始めた後、年間を通じて、蔵を夏にも稼働させたいと、
地ビール事業を始めた。だが、わずか3ヵ月で撤退に追い込まれ、
1億9000万円の損失を出してしまったのだ。
経営者として、桜井社長は、つぶれるかもしれないと思った・・・
と、当時を振り返る。
この倒産の危機を救ったのは、本物志向だった!
客から見て、最高の酒を追求している酒蔵だから
存在価値がある。どこにでもある酒蔵なら、価値はない!
桜井は日本一の酒を造ろうと、手間も時間もかかる究極の磨きに挑み、
「磨き2割3分」を生み出した。
「磨き」とは、精米して雑味となるタンパク質などを取り除く作業のこと。
磨けば磨くほど、時間もかかり、生産コストも上がることになるが、
そこから、圧倒的にすごい酒、獺祭が生まれることになった。
獺祭が、パリに直営店
獺祭が世界へ…パリに直営店
和食がもてはやされる中で、きちんと管理された本当においしい
日本酒を知ってもらいたいと、パリに直営店を出すことを決めた。
世界22ヵ国で売られている獺祭というが、日本酒の酒蔵が海外に
直営店をつくる発想は、旭酒造の桜井社長しか思いつかないだろう。
「獺祭のおいしさは、必ず世界に通じるはず」と、ワインの大国での挑戦。
さらに、本物は、ユダヤ教の聖職者にも認められている商品として、
確立されている。
旭酒造の桜井社長の販売戦略は、自信に満ち溢れている。
ご質問やご感想のメールは、お気軽に下さい。
tatenomore@gmail.com 迄
返信させて頂きます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
タテノアトリエ 立野重之