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無農薬の野菜作りの川田農園 [農業関係]

ソロモン流番組に、無農薬での野菜作りの川田農園が登場。
案内人は、船越英一郎さん (8月25日の放送)




野菜つくりの農業を、無農薬で挑戦する川田農園代表の川田修さん。

川田修さんの無農薬の挑戦は、アトピーの子供を守る為だった。

無農薬農業の川田農園紹介.png
無農薬で野菜作りの川田農園の紹介

信じられますか?

農業経験はゼロからのスタート。親が農家でもない。
はじめて、4ヶ月の収入は、夫婦で働いて、4000円。

努力して、努力して、成長した娘さんが言っていた。
貧乏で、白い靴下も買ってもらえなかったと・・・
その娘さんが、子供を背負い、川田農園を手伝っている姿・・・
川田さんの家庭はほほえましい。
ここまでして、野菜作りが好きで、専念できる姿に感動!

約10年かかって、契約の料理店が、100店を越すという。
野菜の味がちがうという!

無農薬農業の川田農園.png
無農薬で野菜作りの川田農園のトラック

信じられますか?

川田農園は、朝採りの野菜を、その日に、自らの手で届ける。
栃木から首都圏まで運ぶのです。
川田修さんは、当たり前のことをしているだけと、言い切る。
おいしいうちに食べてほしいので、苦労とは思わない。

川田農園と契約するには、条件があるそうです。

栽培している畑を見る!畑仕事を手伝う!
1年に1度は、畑仕事を手伝う!

野菜を、直接みて触って、そして大切あつかってほしい!
そのために、畑仕事もみてもらう。実際に収穫してもらうという!

実際に川田農園の野菜を扱っている料理店でも、畑の野菜を
みること、収穫することは、価値があるといいます。

みんなが、家族なんだ!

こんな農家があるんです!

無農薬農業の川田農園・川田修代表とその仲間.png
無農薬農業の川田農園・川田修代表とその仲間

川田農園代表の川田修さんのプロフィール

1971年生まれ、高校は1年で中退し、18歳で結婚。
仕事はトラックの運転手をしていた。
30歳の頃、子供のアトピーを治すのに、
トラックの会社はやめ、夫婦して、
農薬を使わない野菜を作る事を決意します。

農業をするといっても、無経験からのスタート。
山の斜面を削って、畑としたといいます。

奇跡のりんごの青森のりんご農家、木村秋則さんは
10年かけて、りんごに花を咲かせたといいます。

農業は、本当に大変なのです。
無農薬農法は、大変さが倍増するはずです。

私は、農家の出身なので、親の苦労は、みていました。
朝は、日の出から、夜暗くなるまで、の労働でした。

川田修さんそして奥さんは、つらい仕事の農業に
一緒に家族で立ち向かった。すばらしい家族です!

川田修さんの人柄

家族を大事にしている方で、人の和をだいじにする方ですね!
畑仕事の取材で、いっていました。

アブラムシも大事!野菜を食べられても、全部は食べれるわけがない。
半分はくれてやるが、半分はオレのもの!

川田農園代表の川田修さんは、虫も大事にする!
間違いなく、野菜の味は、天下一品でしょう!!

最近では、農家をやっている人の前でも講演を頼まれるそうです。

雑草は採らないんですか?の質問に、
常に研究しながらやってますの答えでした。

農業はいくらでもやれる時期、作付けも拡大していくとの事です。
農業を楽しく取り組んでいる姿は、ほほえましいです。

川田修さんの野菜作りは天職ですね!!


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奇跡のリンゴの批判があっても、家族愛に感動! [農業関係]

映画 『奇跡のりんご』を見てきました。その 感想です。




10日ほど前にテレビで、俳優の阿部サダヲと菅野美穂が
取材されていました。

映画、奇跡のリンゴの紹介でした。

青森のりんご農家 木村秋則さんが、無農薬でりんごを
作るといった実話を基にした映画です。

主演の阿部サダヲは、自分の出ている映画をみて、
涙を流したのははじめてと言っていました。

その時の印象が強く残り、この映画は見たいと思っていました。

映画館前に貼ってあった、奇跡のリンゴのポスター
奇跡のリンゴ.jpg

実は、私は、農家の生まれです。
父は、リンゴをつくっていました。

小中学生のころ、リンゴ畑て、収穫されたものを
運搬し、また選別し、選果場に運ぶ手伝いはしていました。

手入れも大変で、消毒というと、朝早くから、家族総出でした。

今回は、農薬を使わずに、自然栽培でつくるという、
家族以外の、誰一人として、賛同してもらえない、未知との挑戦です。

りんごは、果物の中でも、一番手入れが大変で、デリケートといいます。
妻が、消毒の後、体調を崩している場面もありました。
それでも無農薬栽培は、無謀な挑戦でした。

いくら研究心旺盛とはいえ、9年間は、何もかも失うばかりです。
小学校の子供の絵には、りんごの木に、虫がかかれています。

すべてのものを失い、ぎりぎりの生活。
電気もとめられ、りんご畑に、毎日片道歩いて2時間です。

最後は、命も投げ出しそうになるその時、大きなヒントを
自然からもらうことになります。
そのヒントで、10年目で、りんごの木に花を咲かすことが出来るのです。
最後、勝ち取りました。

家族があって、成し遂げた成果!

主人公のお父さんも、理解者でいてくれた。
その訳は、戦争体験でした。食べ物もない、境遇で生き延びてきた経験、
仲間を助けることが出来なかった経験・自然の中で生きることができた知恵。
お父さんの思いも、奇跡のりんごの原動力でした。

私の父も、戦争体験者で、私自身の思い出とも重ねている場面が、
たくさんありました。

奇跡のりんご 木村秋則.png
青森のりんご農家 木村秋則さん

不思議なこともありました。

りんごの花が、試行錯誤の中で、10年目に咲きますが、
一本だけ花をつけないりんごの木をみて、
子供が、「どうしてこの1本だけ咲かないの?」
主人公は、「その1本だけ人目をきにして、言葉をかけれなかった」

「がんばれよ!ありがとう!」

花を咲かすことの出来なかった、りんごの木に謝っていた。
「ごめんな!ごめんな!」

・・・この場面に批判もあるんと思う・・・

私は、受け止める。
どんな、生物も愛情は通ずると思っています。

愛情は、絶対に通ずるのです。

家庭菜園で、野菜・果物を作る人に聞いたことあるます。
毎日声をかけるよ。
「おはよう!今日もお疲れ様!私の為においしくなってね!」


奇跡のりんごの映画をみて、改めて感じてます。

しっかりとした目標は、努力して成し遂げられる!

人生の、目標をしっかり定めたら、あきらめるな!

いろんなことを教わりました。
30年ぶりの映画です。

他にも、奇跡のリンゴの映画に批判もあると聞きました。
原作と、ちょっと違うとか、宇宙人が登場するとか・・・・
かりにそのような批判があったとしても、
木村秋則さんの、生死をかけた戦いに、私は、声援を送りたい。

妻と二人でみた、『奇跡のりんご』は、記憶に残る映画
になりました。


ご質問やご感想のメールは、お気軽に下さい。

tatenomore@gmail.com 迄

返信させて頂きます。
最後までお読みいただきありがとうございました。

タテノアトリエ  立野重之
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